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スペシャリストの存在が際立つ現代で

「ジェネラルな視点を持つべき」

と近年いわれているが

スペシャリストでもなく

ジェネラリストでもない

武術が示す「シンセシスト」こそ

これからの時代必要となる存在である。

この「シンセシスト」とは何か

そして、どうすれば「シンセシスト」になれるのか

​その答えが「武ノ道」にある。

必要なのは

ジェネラリストではない

近年、「スペシャリストはジェネラリストの視点を持つことが大事」といった風潮がある。

 

なぜこのようなことが言われるのか。

 

その理由は、スペシャリスト、つまり専門分野ごとの繋がりが断絶し、セクショナリズムに陥ってしまったためと言える。

 

セクショナリズムの弊害として、両者の連携が取れず、それぞれが自分たちの都合ばかりを優先させてしまい、結果として非合理的な処置をするに至ってしまうという「部分最適、全体劣化」になる。

 

ゆえに「自分の専門とする分野以外のことにも精通している必要がある」といった意味で「ジェネラリストも視点が必要」ということが言われるようになった。

 

しかし、ジェネラリストという言葉の捉えられ方が、本来のものとは大きくずれが生じている。

 

その理由は、ジェネラリストが「総合」と訳されているから。

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2つのジェネラリスト

しかし、ジェネラルの意味は2つの捉え方がある。

 

一つ目は、全体の総和として捉える視点。

 

つまり、様々な専門分野が集合したものと見ること。

 

もう一つが「総和という集合体ではなく、そもそも一つのものとして捉える見方。

 

このように2つの意味があるために、「スペシャリストがジェネラリストの視点を持つべき」という解釈にずれが生じてしまっている。

 

そして、本来はスペシャリストが持つべきジェネラリストの視点とは、後者の「そもそもは一つのもの」という捉え方を指しているにもかかわらず、多くの場合が「部分の集合体という総和」としての捉え方で見てしまっている。

 

その理由は、西洋哲学と東洋哲学という考え方の違いにある。

 

東洋と西洋の視点

なぜなら、西洋哲学からは「スペシャリスト」が育ち、東洋哲学からは「ジェネラリスト」が育ちやすいから。

 

西洋哲学は「科学」つまり物事を、分解して細分化し、研究対象を事細かに分析する考え方が重要と考えてきた。

 

理由は、思考や理性を使うことを特徴としてるから。

 

ゆえに、元々は「哲学」という一つの学問が、枝分かれして「数学」「幾何学」「社会学」「自然科学」など学問の数が増えていった。

 

このメリットは、細かく専門化したことで、狭い範囲に限り、徹底した研究がなされるため、研究解明の精度が向上すること。

 

しかし、先に述べたように、他の分野との断裂が起こり、セクショナリズに陥ってしまうというデメリットもある。

​東洋哲学

だから、西洋でいうジェネラルとは「総合」と訳される。

 

一方で東洋哲学はどうかというと、分野ごとに分けることをあまりしない。

 

全く分けないわけではなく、大雑把にしか分けないという傾向にある。

 

理由は、感覚や感性をを使うことを特徴としているから。

 

ゆえに、瞑想や感性優位の身体操作といった要素が大きい。

 

このメリットは、全体を一つのものとして捉えること。

 

全てと繋げて原因の追求をする、大きな視点を手に入れることができること。

 

しかし、デメリットもあり、それは常に、全体や、一つのものとい視点があるため、分解して細分化し分析することには疎くなってしまいやすい。

 

つまり「曖昧性」「漠然性」が大きいとも言える。

 

そうなると、人は神秘というものに対して過剰な捉え方をしてしまい妄信に陥りやすいとも言える。

 

また、「曖昧性」「漠然性」が高いということは暗黙知であるため、誰でもが学び、活用できるようになるという再現性にも乏しくなる。

 

このように、ジェネラルという言葉は、西洋と東洋で異なる捉え方をしている。

シンセシスト

そして、日本は文化や教育が西洋化してきたことで、西洋型のジェネラルという視点が輸入され根付き始めている。

 

ゆえに、スペシャリスト×ジェネラリストという構図が作られている。

 

しかし、この視点では、結局的には、専門分野の集合体、悪く言えば寄せ集めという捉え方から抜け出せず、「部分最適、全体劣化」という結果に陥る。

 

では、何が足りないのか、そしてどうすべきなのか。

 

その答えこそが「シンセシスト」という捉え方にある。

 

synthesis(シンセシス)とは、「統合」という意味を持つ。

 

それは、「一つのもの」という東洋哲学的なものとも少し違い、「本来一つだったものを、分解して分析した結果を、全体に還元し、また一つのものに統合する」という考え方。

統合とは、持てる知識などの関係性を理解したり、本質という深いところでの性質を見抜いたりして、全く関係ないと思われるような物事や事象を一つに結合することができること。

 

こうした統合のできるシンセシストは、知識さえ入れてしまえば、たちまちあらゆる分野の一流になれる」

 

実は、これが「センス」がある人の正体でもある。

武術が伝えるもの

武術というものが、身をもってこれを教えてくれる。

 

字の如く「武」と「術」で「武術」になる。

 

「武」とは戦闘のこと、「術」とは「生きるすべ」である。

 

つまり「生死をかけた状況下で生きるすべ」

 

それが武術と言える。

 

この時、戦闘において生きるための手段の一つが武術の「技」と言える。

 

この「技」のクオリティーが高いほど、もしくは「技」のレパートリーが多いほど「生存率は高い」と言える。

 

そういう意味で戦闘における「技」は役割の範囲内で、とても重要なもの。

 

そして「技」のクオリティーが高い人はスペシャリストといえる。

 

また「技」のレパートリーが多い人は西洋型ジェネラリストといえる。

 

ちなみに東洋型のジェネラリストは、技を野生の感覚で繰り出せる人といえる。

 

しかし、いずれも「技」という文脈の上に位置していることに変わりはない。

 

しかし「武術」は技ではなく「術」を文脈に置いている。

 

「術」とは、目に見えて理解できたり、文章にして共有できない、裏側にある状態や感覚このと。

 

例えば「技」のレパートリーも持たず、別に技を磨いて来なかったとしても、その戦闘の状況や相手の心理状態、地形や天候など様々な条件と、自分自身の能力を最適化して「生き延びれる力」とも言える。

 

これこそが「生きるセンス」であり、武術そのものと言える。

 

こういった「術」という視点から「技」を見直すことで、「技」の定義が変わり、その結果、「技」の質が圧倒的に向上すると言える。

 

別の言い方をすると「技に使われず」「技を使いこなせる」ようになる。

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AIと人間

この「術」という視点こそが「統合」であり、それを使いこなせる人が「シンセシスト」とである。

 

これからビッグデータやAI、IoT、ロボトミーといった技術の登場によって、人の存在意義が薄まっていくという社会の大転換機に現在があると言える。

 

しかも、ロボットやAIなどにとって変わられるのは、肉体労働や知的労働といったスペシャリストたちの領域と言える。

 

だからこそ、今まさに「シンセシスト」の能力を養う必要がある。

 

そのためには、まずスペシャリストという視点を持つこと。

 

そしてスペシャリストでありながら、技術や手法、知識といった「技」ではなく、「術」というセンスを磨くことが必要となる。

視点の転換

「スペシャリストなんて自分とは縁遠い」と考えるのは早とちり。

 

スペシャリストといえば、専門家のこと。

 

専門家とは、技術・芸術・その他特定の職域で精通し、専門的な知識と能力のある人のことと定義されている。

 

こう定義されると、職業の中でも、職人や学者、またはその道で一流の人ような視点で捉えられることが多い。

 

しかし、人はみんな、人生の中で様々な役を演じている。

 

例えば、会社では「部下」という役、家庭では「父親」や「夫」という役など、シーンにおいて役を使い分けている。

 

この、シーンというのが、様々な分野と同義であり、つまり日常の中でたくさんの分野を渡り歩いているわけである。

 

そうしたことに気がつくことで、それぞれの分野で専門家になれるという視点が手に入る。

 

つまり、誰もがスペシャリストに成りえるということ。

 

そして、次に重要なのが、自分の人生の質を上げるためには、まず、この「専門家」つまり「スペシャリスト」になるという自覚。

 

なぜなら、この視点を持って初めて、センスを高めることができるから。

​sense

ある分野で、専門家として「センス」の質を高めることで、それ以外の様々な分野においても、さらには生き方そのものの質すら高くできるから。

 

だからこそ、普段何となく無自覚に取り組んでいることでも、「スペシャリスト」という視点を持つだけの、わずか1ミリ以下の差が、結果としては天と地ほどの違いとして現れてくる。

 

これからの時代は、誰もがスペシャリストとしての視点を持つことの重要性が増してくる。

 

なぜなら、科学技術が急速に進化したことで、そうした技術を「使いこなせず」に「使われてしまい」振り回される機会がより急増していくから。

 

振り回されずに「使いこなして」社会や自分の人生をより質の高いものに活かすためには、まずは個々人がスペシャリストとしての自覚を持つことが前提となるからである。

今一度問い直す

ここで立ち止まって自身の人生のスタンスを振り返ってみてほしい。

 

つまり、これまで説明してきた「スペシャリスト」「ジェネラリスト」といった角度において、どのような学びかた、価値観や視点、そして考え方に位置していたかということを。

 

そして、すでに科学技術が急激な高まりをみせている、この現代社会において、果たしてこれまでのスタンスでいいのか。

 

もし「このままでいいはずがない」という答えが出るのであれば、最適な学びが得られる先に投資すべきといえる。

 

その一つが「武術」という死と向かい合い、そこから先人たちが見いだした、最大級のリアリティを持った「生きるすべ」をベースにした「武ノ道」である。

 

「武ノ道」では、非常に曖昧性の高い武術の身体操作や思考操作などの暗黙知を、分解分析してロジカルに認識知へと落とし込んでいる。

 

重要なのは、ただ単に暗黙知を認識知にしたという結果を伝えるのではなく、暗黙知が認識知になる過程がロジカルに学べるという点である。

 

つまり、一つのものを分解して分析するの視点、そして分析したものを全体に還元して、一つのものに統合し質を上昇させる「シンセシスト」の視点が身に付く。

 

さらに、「シンセシスト」というものを、身体と思考の両側面から学べるメソッド「武ノ道構造理論」を組み込んだ稽古を行っている。

 

ここまで徹底したものだからこそ、自信を持って武ノ道は「人間の質を飛躍させられる」と言える。

「術」を学べる武ノ道体験会

シンセシスを極めるために

必要な3つの要素

​1.

​分析するために要点ごとに整理できる

「分解する思考力」

​2.

​分解分析した結果を実践に還す

「還元する感性力」

​3.

​物事や事象を構造で捉える

「本質を見抜く力」

​3つを統合することで得られるシンセシス

「至高の直感力」

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白 川  紘 

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​・名もなき武術
・会社経営の経験
・哲学や最先端科学
​こうした研究と学びの末に辿り着いた
独自の哲学「為さずに成す」
​この哲学を身につけ、実社会で活用できる
武術ベースでメソッドを開発
そのメソッド『武ノ道構造理論』を稽古に取り入れ
「武ノ道」の指導者として自ら活動

​「武ノ道」創設者

白 川  紘 

​しらかわ こう

武ノ道哲学「為さずに成す」

武術で教えられた「押さずに押す」「投げずに投げる」ということが、あらゆる物事なす上での根幹にあるような感覚を覚える。

これが後の武ノ道の哲学となる「為さずに成す」につながる。

初めは、武術において「為さずに成す」ができず、つまり「押そうとして押す」「投げようとして投げる」ことしかできなかった。

これは、ビジネスの経営では「人を誘導しようとして誘導する」「売ろうとして売る」といったこと。

ゆえに、この視点を持ち、常に武術で学んだこと、経営で学んだことを分解し、分析し続けた。

そして、それを、それぞれで応用して苦心してきた。

つまり武術で学んだことを経営に活かせないか考え、逆に経営で学んだことを武術に活かせないかを常に考え、実行していた。

この過程で、哲学や宇宙、生命、人類の歴史、最先端の物理学などあらゆる学問を学び答え模索を続けた。

結果として、ある時、武術でも「押さずに押す」、ビジネスの経営でも「売らずに売る」という感覚を掴みその哲学を、さまざまな物事や事象に応用できるようになっていった。

それが「為さずに成す」という哲学が誕生した経緯。

つまり、白川紘の原点は、武術と会社経営、そして様々な学術的知見の3本柱にあると言える。

「武ノ道の武術とは‥

600年ほど前から一子相伝で伝えられた”名もなき武術”

 

代々受け継がれてきた伝統が「途絶えるくらいなら」と学べせてもらう機会を得た。

 

そこでは、流派や武器などに囚われず「人間の身体(筋肉・骨・関節・靭帯・臓器・五感・心理)をいかに最適化して使えるか」ということをのみを追求することが求められた。

 

だから、逆に様々な武術の技や型、武器など学んだが、それは、すべてのものが同じ「身体の最適化」という視点で使いこなせるかを試すための道具でしかなかった。

 

武ノ道では、さらに一歩進んで「身体の最適化」のみならず「思考の最適化」という哲学的要素も包括して「人間の最適化」を一つの目的に据えている。

 

そのために武ノ道では、様々ある武術の型や技の中でも、体系的に学びやすい、学ぶ上で効率のいい琉球唐手に伝わるものを抜粋して教えている。

 

しかし、それはあくまでも「人間の最適化」のためだけに、その型という外枠だけを道具として用いている。

武ノ道体験会スケジュール

​■福岡体験会

❶2021年7月25日(日)

11:30〜13:30

❷2021年8月22日(日)

11:30〜13:30

​■東京体験会

2021年8月29日(日)

15:30〜17:30

2021年8月30日(月)

19:30〜21:30